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がところ狭しとならんでいます
モチロン!!値段も安い
9時前に行くと良いですよ










それから御前崎で一仕事あるそうです



とソーセージがたこさん
、カニさん
です

食べるようになってきたなぁ












部屋に着くなり・・この姿。







毛穴が綺麗になった感じと、マッサージによって血行もよくなりました







元気イッパイいただきました




9月19日(日)に開催する第11回清水ふるさと塾ガイドウォークのテーマは「山岡鉄舟と観音道」です。
明治元年(1868)、新政府誕生の混乱のなかで起こった「清水港咸臨丸事件」は、清水次郎長と山岡鉄舟の出会いを生みました。それは、次郎長の後半生を変える劇的な出会いでした。
今回のガイドウォークは、清水港から壮士墓へ向かい、142年前の9月18日に起こった、「清水港咸臨丸事件」に想いを寄せ、犠牲者の冥福を祈ります。さらに、その時代の河岸跡、旧幕府御蔵米を歩き、旧道「清水み奈登道」 から「観音小路」を歩き、鉄舟寺へ向います。鉄舟寺拝観の後、路線バスで出発地点のドリプラへ戻ります。
参加費は、鉄舟寺拝観料と障害保険料で中学生以上500円、小学生の参加費は主催者が負担します。集合は、いつもと同じドリプラ大観覧車横で開催されている「あっ朝市」の櫻珈琲青テント、受付は8時30分〜9時、出発は9時、解散は11時頃を予定しています。



なボイスマシーンにも微動だにしない、逞しさも披露してくれました


信号を発信しています


』

これは夏休みの宿題だな







彼女には臥龍梅も飲んでもらって、桜エビのかき揚げも堪能してもらいました











































(1)次郎長堤
中世以来、巴川河畔にあった「清水湊」を、大型汽船に対応できる外港として、今の波止場の位置に明治8年(1875)ころから築造を始め明治12年(1879)完成。次郎長の尽力を伝える堤の石組が残っている。
(2)「船宿末廣」跡地
明治19年(1886)、晩年の次郎長が開業した船宿「末廣」があった場所。明治26年6月12日、次郎長74歳、生涯終焉の地。「船宿末廣」には広瀬武雄、小笠原長生をはじめとする海軍軍人が訪れ、海軍の定宿として繁盛したという。小笠原の著書『大豪次郎長』には若い時の武勇談を熱っぽく語る次郎長が活写されている。
(3)壮士墓
明治元年(1868)9月18日、内戦の犠牲者となった旧幕府軍艦咸臨丸の乗組兵士の墓。湾内に浮遊する幕軍兵の屍を「死ねば皆ほとけ」と次郎長が手厚く葬った。墓碑の「壮士墓」は山岡鉄舟揮毫。
この明治元年の咸臨丸事件当時次郎長は、駿府町差配役の伏谷如水の命を受け清水湊の警固役(警察的役割)をしていた。地元の平和を維持する立場にいたことも、軍兵の屍を葬るという義侠的行動へと作用したと云われている。しかしこの行動こそが次郎長その後の人生を大きく変えた。
静岡へと移住してきた旧幕臣達から絶大な信頼をもって友好関系を築き、彼らから知遇と協力を得たことで、1年前の荒神山で縄張り争いをしていた親分から地元の社会事業家へと、人生の賽の目が大きく転がっていったのである。
(7)牛道
波止場の構築や横浜との定期航路は、静岡のお茶を海外(北米)などに輸出するためのものだった。静岡茶町からお茶の荷車を引く牛が通った道。
(8)金刀比羅神社跡
浪曲の石松金刀比羅代参でもおなじみの金刀比羅さんだが、この岡清水の金刀比羅宮も、船頭だった実父「雲見ずの三右衛門」の影響等で何らかの関係があったと思われる。
(9)梅蔭寺
明治26年(1983)次郎長没。ここ梅蔭寺に葬られる。葬儀には数千人が参加したという。
(10)美濃輪稲荷神社
社を囲う石柵に「山本長五郎」(次郎長)の名と、ゆかりの人物の名が刻されている。榎本武揚豪額の徳霊験碑がある。
本殿と石柵は、明治13年(1880)に美濃輪町が正式にこの神社の氏子となった時に造営された。石柵は状態が非常に悪いが、発起心願人が、次郎長が少年期の養子先だった米屋「甲田屋」の代々当主を名のる「山本治郎右衛門」と確認できる。そしてそのすぐ傍らには横浜との定期航路の中心的人物「天野九右衛門」や活躍した大型汽船の名、つづいて静岡の茶商、清水の廻船問屋、横浜の商人の名が刻されている。それは清水港が、米や塩中心の河口港からお茶中心の外海港へと移り変わる激動の時代を象徴するものである。こうした関系者たちの間を取り持った「山本長五郎」の名は、以外にも出口の柱の一番最後に何の肩書きも無くひっそりと彫られてる。決して歴史の表舞台には出てこないが、陰ながら清水港の未来と発展を見つめ尽力した次郎長の姿を垣間見る思いである。
(11)甲田屋跡
次郎長の叔父(実母の弟)、山本次郎八(当主は代々「山本治郎右衛門」を名乗る)の経営する米商甲田屋の跡地。幼少のころ養子となり、「次郎八のところ(せがれ)の長五郎」が次郎長という呼び名となったのは有名な話し。
(12)次郎長生家
文政3年(1820)1月1日に次郎長が生れた家。実父「雲見ずの三右衛門」こと高木三右衛門宅。高木家は代々、船持ち船頭を家業としていた。
(13)妙慶寺
嘉永2〜4年(1849〜1851)、次郎長30歳の頃、江尻の大熊の妹(初代お蝶)をめとり、門前に一家を構える。次郎長杉の伝説がある。



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